【そろ日和ゼロ】ベトナム・カンボジア7日目(2008年3月31日)

この前から気になっていた屋台焼きそばを朝飯に食う。うまい。3000R。

3,000Rと言うと、当時のレートで76円くらいです。やっすいですが、宿が1泊99円と思うとそれなりのお値段…?

日記内でお金のことにはあまり触れなくなりましたが、というのもこの頃のシェムリアップでは1日5USDもあれば十分(宿泊費込みで)だったため、「1日14USD以内で生活しないと帰れなくなる!」という心配はとっくに過ぎ去ったものとなっていました。この前夜の時点でまだ112USD+αも残っています。

(明日の)プノンペンまでのバスチケットを買う。5.5$だったけど、看板には4.5$って書いてあるよーな…?ちゃんと言えば良かった。

明日の移動の足も無事確定させ、旅人らしい動きにはなっていますが、相変わらず「疑問をその場で咄嗟に指摘できない」ことに悩んでおります

その後、土産物あさり。いろいろ買ったからそれぞれの値段忘れちったよ。おもいだせる範囲で大体書こう。筆箱1$、Tシャツ3$、マトリョーシカサイフ3$、サンダル4.5$、はし3$(これはいらんかったな…)、うちわ3$かな。大体午前中で買い終わっちった。

研究室用に、あきらか日本人向け(だって”伝統銘菓”とか書いてあるし)のご当地クッキーを買おうかと思ったけど、16ヶ入り10$だったのであきらめた。

前述の通り気が緩みまくっているので、財布の紐も緩みまくっておりますw 当時の物価感から言うと全体的に高めな気はしますが、Tシャツはかなりしっかりした生地と作りで、実はいまだに持っています

10時半頃に人気(ひとけ)のない川沿いで休憩。

シェムリアップのこの川沿い、綺麗に整備されている割には静かで好きだったのですが、2017年に再訪した時は対岸がごっそり土産物屋に変わっており、かなり騒がしい感じになっていました。

今まではバイタクに声かけられても、笑顔で断るか、場合によっては立ち話してたりしたけど、今日の昼頃から『ハロー』がやたらうっとうしく思えて来て、ほとんど無視する。ちょっと疲れてきたのかもしれん。

世界一周中も、自分の疲労のバロメーターとして「見ず知らずの人に愛想を見せるだけの心の余裕があるか否か」は一番の目安にしていたんですが、この時点で既に自覚があったんだなぁと、ちょっと驚きです。

宿で仮眠とって昼過ぎに昼飯食いに行く。店もメニューも共にミスセレクト。アップルシェイクはおいしかったけど。(中略)この辺ではどの店でも、オーダーしてから出てくるのにちょっと時間がかかる。ご愛嬌。

この時の昼食の写真は見つかりませんでしたが、確かグダグダのインゲンのような野菜と牛肉を炒めたもの…だったような気がします。インゲンの食感があまり好みではなく、特にグダグダブヨブヨしたのが苦手なんですが、それが大量に入っていたような記憶があります。

前日もこの日も、日中に宿に戻っては昼寝しており「怠惰だなぁ」と思われるかもしれませんが、この季節のカンボジアは非常に暑く、当時のシェムリアップで空調がきいているようなオシャレカフェを探すのも難しかったため、とりあえず宿に避難するしかなかったのです。

それにスマホもWi-Fiも無いため、酷暑タイムはバックパッカーはだいたい宿に戻っておとなしく昼寝するか、宿猫と遊びながら昼寝するか、風通しの良い場所に設置された小さいテレビ(ブラウン管)で、ちょっと昔の有名なハリウッド映画とかを眺めながら昼寝するくらいしかありませんでした。昼寝しかない。

このただただ不毛な「旅先で何もすることが無い、この上なく無駄な時間」は、今ではむしろ貴重ですらありますね。これが良かったとは言いませんが、パッカー宿全体を包むこの気怠い独特な雰囲気は、たぶんもう二度と見られないんだろうなと思います。実は上の写真は、個人的には好きな1枚ですw

今日は日中でもあまり暑くないなぁなんて思ってたら4時前くらいから雷と大雨の暴風がやってくる。宿で汗流した後カメラのレンズ拭いていたら突然やって来たからびっくりした。

これが熱帯のスコールかぁなどと思った記憶があります。確か1時間も降らずに止んだと思います。

スコールの後、日本人のヒロさんがGarden Village G.H.にやってくる。同い年。タイ、ラオス、ベトナム、プノンペンと回って、今日シェムリに着いたらしい。

ぼくが初めて出会った日本人バックパッカーはシェムリアップまで同じバスに乗っていた2人組でしたが、初めて会話した日本人パッカーはこのヒロさんでした。経験に差がありすぎるため、同い年なのに妙に年上に見えましたw

夜になって、KOYさんと少し話す。KOYさんもワタルさんと友達なのに、昨日知らせてくれなかったとバランに怒っていた。KOYさんと入れ替わるようにして、バランと友達3人がやってくる。うち1人は、初日に”アジノモトです”って言ってた人。6人でえらく盛り上がった。

今思うと、この翌日はぼくがシェムリアップを出る日だったので、バランさんが気を利かせて賑やかにしてくれたんだと思います。

日記には6人(バラン、友達3人、ヒロさん、自分)と書いていますが、確か途中でドイツ人パッカーも混ざって、英語、クメール語、日本語、ドイツ語と、各人が異なる守備範囲で訳したり補足したりしながら、宿の共用スペース(兼バー)でわいわい飲み食いしました。絵に描いたようなバックパッカーですw

3日目の日記の最後で「バックパッカーとしてのぼくはこの屋根裏からスタートしたようなもんです。」と書きましたが、そこにはこの最終夜の経験も含まれます。熱帯のスコールの湿っぽい香りが残る、涼しい夜でした。

コメント

  1. 石垣純一 より:

    読んでいると、自由気ままな旅に出たくなります。
    オフ会とかして欲しいですね。

    • wolt より:

      いつもありがとうございます!
      オフ会の予定はありませんが、もし名古屋方面にお越しの際はうちのお店までご足労頂けると、うぉるとを見ることが出来ます!(笑