【そろ日和ゼロ】ベトナム・カンボジア3日目(2008年3月27日)

予定通りカンボジアに行くか、全てあきらめてホーチミンに引きこもるか。昨夜めちゃくちゃ悩んだぼくは、3日目のこの朝、片手にバスのチケット、片手に決意を持って部屋を出ました。

自己嫌悪のドブの中から辛うじてすくい上げた、ありふれた小石みたいな決意。この時拾った凡庸な小石を大事に磨き続けた結果今の自分があると、今だから思えます。

6:30にシンカフェ前からバスでプノンペンへ。

バス周辺には早朝から開いている売店などがありましたが、1日13USDで過ごさなければいけないぼくは脇目もふらずにバスに乗車。バスに乗ると、乗客全員にペットボトルの水が配られたのが有難かったです。

バスでカンボジアとの国境へ。ベトナム側イミグレーション。

お前は!また!堂々とイミグレの写真なんか撮って!!

カンボジア側イミグレーション。

よく怒られたりカメラ取り上げられたりしなかったよねぇ…

カンボジア入った瞬間、国境こえただけで空の色が違う気がした。ちなみに念願の歩いて国境越えは無かった。

カンボジアのイミグレ通過後、すぐ目の前にある休憩所のようなところで休憩。

同じバスには、旅慣れたバックパッカーと思われる日本人の男女2人組が乗っていました。2人のベテラン旅人オーラがあまりに凄かったのと、ぼくの根暗な性格のため話しかけることは出来ませんでしたが、彼らの一挙手一投足が何かの参考になる気がして、遠くからずっと目で追っていました。

彼らがこの休憩所にあったATMで、お金をおろしているのを見て「そんなことできるんだ…!」と衝撃を受けたのを覚えています。もちろんカードは、服の下に隠すタイプの薄いポーチから取り出していました。国境を越えたらまずその土地の通貨を入手。バックパッカーの基本動作ですね

確かお昼過ぎ頃、カンボジアの首都プノンペンに到着。

バスを乗り継いで、シェムリアップに向かいます。

プノンペンやシェムリアップ等の町以外では、3,4軒に1軒くらい、屋根や壁がワラできた家なんかがあった。地平線も見れた。あの地平線に立っている木とか、近く見えるけど、歩いて行けない(くらい遠い)んだろうな。

初めて見る地平線、ポツンと立つ木が印象的でした。

バスの運転手がトイレで、突然平野のド真ん中にバスを止めて走って降りて行った。乗客もかなりの人数後に続いた。ええんかい。牛による急ブレーキが1回。別のバスが事故っているのを横目に通りすぎたの1回。バスに乗ってるだけだった割にはドラマチックだった。

どれも「あるある」なんですが、初めてだとカルチャーショック受けますよねぇ。

旅程を決めたきっかけでもある”苛酷な道”というのは無かった。モックバイ(国境)までは道はほそうされていたし、カンボジア側も未舗装道路は一部だった。

ぼくが通った時、プノンペン→シェムリアップは「大規模舗装工事中」でした。ちょうど半面が舗装し終わり、ぼくらを乗せたバスは黒々とした綺麗なアスファルトの上を快適に走っていきました。反対側の車線は整地された未舗装路で、まさにアスファルトをひき始めている真っ最中でした。

ちょいちょい休憩を挟みながら進みますが、見るもの何もかもが衝撃。屋根やテーブルや椅子が竹で作られていたり、まだ子供のような歳の子が物を売っていたり。

↑の写真の左に写っている男女2人組が、同じバスに乗っていた「ベテランオーラのすごい2人組」です。15年前だしギリギリ顔写っていないので隠し撮り許して…!

ベテラン2人を見ていると、果物だかパンだかの、1個の値段を聞いた後「3つ買うから少しまけてくれ」と交渉するようなジェスチャーをしていて、値切るという概念も無かったぼくは「なるほど!まとめ買いして少し値切る…!」などという当たり前のことを、2人の後ろ姿からせっせと学んでいました。

なお、1日13USDで生活しなければならないプレッシャーにより、この日ここまで何も食べていなかったぼくですが、ここでパン2個が1USDと聞いて購入。今思うと、当時のカンボジアの物価からすると吹っ掛けられていますが、この時のぼくは「これなら買える!」と思って買いましたw あと水500mlも1,000リエル(≒0.25USD)で購入

甘辛いツナのような具が少量挟まった、パサパサ気味の貧弱なパンでしたが、ほぼ24時間ぶりの食事は涙が出るほど嬉しかったです。

シェムリアップに到着したのは、とっくに日も沈んで真っ暗になった時間でした。当時のシェムリアップは街灯もろくになく、マジで真っ暗だったし、降りた場所が土だったのを覚えています。

バスから降りた途端、うさんくさいおっさんにつかまる。でも辺りはまっくらだし、行くあてもない。

スマホが無い時代の旅行者の弱いところですよね。ガイドブックの地図に掲載された範囲しかわからないし、仮に自分が地図の範囲内にいたとしても、真っ暗だと目印を見つけて現在地を推測することもできません

(お金に困ってるというと)安い宿につれてってくれるというし、そこまでフリーだと言うし、どうにでもなれって感じで、三輪荷車付きバイクのような物に乗った。

それはトゥクトゥクって言います!自分で日記読んでて「三輪荷車付きバイクって何だ…!?」としばし考え込んでしまいましたw

行った先は半分バーみたいな雰囲気の、路地裏の、看板も出てない、えらくオープンな所。

着いたところは、屋根はあるけど壁は無くて半屋外のような、地元の人も旅行者も一緒くたになって集まるバーのような場所でした。

1$の部屋を見せてくれると言うので案内してもらうと、ぶっちゃけ屋根裏の雑魚寝。男も女もあったもんじゃない。一応、仕切り(高さ20cmくらい)と、1人1つの蚊帳つき。(中略)ここに決めた。

トゥクトゥクの人からは本当に料金請求されること無く(と言ってもせいぜい100メートルほどの一瞬の移動だった)、大丈夫そうな宿に入ることができました。日記から危なっかしさが伝わってきて、今のぼくが何故かハラハラしますw

後日明るい時に撮った、屋根裏ドミトリー部屋の外観がこちら。

中は裸電球が2,3個あるだけで窓すら無いため、昼でも真っ暗です。出入口はビニール。

でも、バックパッカーとしてのぼくはこの屋根裏からスタートしたようなもんです。

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