オラー!
今回はリマの国立博物館(?)とワカ・ウアジャマルカに行って来ました!
宿朝食を食べるスペース。マイケルジャクソンとビートルズなお部屋。
宿朝食が単調なので、昨日自分でチーズを買って来ました。
写真に写っているのは半分。残り半分は明日用。全部で4.4ソル(≒141円)。チーズがこの値段は嬉しい。
ただ、塩っ気が欲しくてチーズを買ったのに、まったくと言って良いほど塩気を感じないタイプのチーズでした。おいしいはおいしいけども!
朝9時半に外出。宿の近くでバスに乗車。
リマのバスもようやく乗れるようになって来ました。明日リマを出てしまいますけど。
集金係に行き先を告げてお金を渡すと、
ん!?1ソル(≒32円)は安くね?単にチケットの間違いかと思って返ってきたお釣りを見ましたが、お釣りから逆算しても持って行かれたのは1ソルです。
料金表を見ると、
・・・もしかして学生料金かい?
学生と間違われたのかな~でも払って数分してから「学生じゃありません」って言うのもおかしいよな~と思いつつ黙ってました。
1時間ほどかけて、国立博物館の近くに到着。
せいぜい8kmくらいのはずなんですが、リマは渋滞しまくり&バス乗降多過ぎなので、バスだとめちゃくちゃ時間食います。住んでたらバスなんか使わず、自転車でどこでも行くだろうな。つーか時速8km/hって徒歩に毛が生えたレベルじゃないですか。
あれが国立博物館?思ったより立派です。
と思ったら違いました。劇場って書かれています。
隣のこっちの建物かな?
こっちもめちゃくちゃ立派です。
入口で警備員に「ここ博物館?」と聞くと「そう」と返ってきたので入場。
うん?これ博物館?なんちゃら文化センターとかそんな感じな気が。
受付に行ったけど入場料とかは無くて、名簿に名前や国籍を書くのみ。展示場が1階と6階にあるよ、と案内されました。やっぱりなんちゃらセンター感が・・・。
Googleマップ上はMuseo de la Nacion(国立博物館)なんですけどね。
まぁいいや。まずは1階。
リマから150kmほど北にあるスーペ川(Rio Supe)流域にあった、紀元前15世紀~紀元前10世紀ごろの古代遺跡と古代民族に関する展示らしい。
こんな感じの方が住んでらしたわけですね。
客は小学生だか中学生だかの社会見学の一団のみ。
現存する遺跡の写真。
写真で見る限りかなり規模大きいような?リマから南下するので北の方はノーマークでしたが、これはすごそうな遺跡です。
こんな感じでスーペ川流域に集落が点在していたみたい。
たぶん身分の話してる。
入口に立ってたのは一番偉い人の人形だったのかな。
出土した土器が、ことごとくゆるキャラ顔でなごむw
立派な縄。世界のどこでも同じ物を発明してるのってなんだか不思議。人間って発想が似てるんだなぁと。
感心したのが家の壁の構造。
太めの木を柱に、葦みたいな細めの固い植物を梁にしてロープで固定。その上から土で固めると言う物。めちゃくちゃしっかり造ってますね。材料はともかく、構造はほとんど近代の物と変わらない。
次は6階へ。6階はペルーが内乱状態だった1980年~2000年頃の写真展でした。
20世紀後半のペルーの内乱
ペルーの長い歴史を語ろうと思うとそれだけで1記事になってしまいそうなので、めちゃくちゃ簡単に書くと、ペルーはもともと民族的(先住民と白人系移民)な格差が大きく、20世紀半ばにはペルー革命が起こり、過激なゲリラ組織がいくつも跋扈する状態になっていました。
その中で巨大化したのが、毛沢東主義を掲げる過激派組織センデロ・ルミソノ。センデロはその過激な活動から「南米のポルポト派」と呼ばれるほどでした。
センデロが本格的に活動を始めたのが1980年。ペルーの東部を中心に武力で勢力を拡大し、最盛期はペルーの国土の1/3を支配下に置いていたと言われています。
センデロの活動により首都のリマには難民が続々と流れ込み、当時のペルーの人口の1/3である7百万人がリマに集中。更にそんな過密状態のリマでもセンデロはテロ活動を行い、ペルーは混乱を極めました。
政府とセンデロの戦いは長期にわたって続き、1992年にはセンデロの幹部をほとんど逮捕するに至りましたが、その後も残党のテロ活動は2000年代になっても続きました。2012年に銃撃戦の末組織のリーダーを拘束し、ようやく落ち着いたようです。
なお現在でも大物幹部1名が捕まっておらず、組織も500名ほどいると言われています。
写真はどれも、今のリマを見た後だと信じられない物ばかりでした。これは1992年のリマ。
スペイン語なので解説はほとんど読めないのですが、爆破テロですかね。道路に巨大な穴があいています。
1988年だったかな。たぶんリマに向かう難民。
こちらは1998年。ボクが今滞在しているミラフローレスで起きたビルの爆破テロの写真。
ここから連なる一連の写真がけっこう衝撃的で、脚や頭が無かったり、体が半分しかない焦げた遺体が何体もトラックに積まれている様子とか、酷い火傷を負った人が救助されている様子とか。今ののどかなミラフローレスを見ていると、たった20年前の出来事とは思えない写真でした。ほとんど紛争地帯。
たった20年でここまで発展して平和になったペルーすごい。リマすごい。今のリマの1つ下の地層を覗いてしまったような気分でした。
今の紛争地帯、シリアとか、リビアとか、ソマリアとかも、20年後に「そんな事あってたの?信じられない!」と言われるくらい平和になれば良いなぁ。
国立博物館かどうか謎だった国立博物館を出て、またバスに・・・
と思いましたが、ICカードが必要なタイプのバスばかりで、しかも乗客が多いので「現金で乗れる?」って訊ける雰囲気ではない。
ちょっと歩いて人の少ないバス停を探します。
あれ、ちょっと日が差していますよ!ペルーに着いてから初めてです。でもまた20分くらいで曇りました。
少し歩くとコレクティーボが走るようになったので、結局コレクティーボで移動しました。
次に来たのはワカ・ウアジャマルカ(Huaca Huallamarca)。
ここは2~5世紀頃に造られたピラミッド跡なんですけど、周囲は普通に町です。
ピラミッド造った人も、まさか周囲がこんななるとは思わなかっただろうな。
入場料は5ソル(≒160円)。
あるのはピラミッド跡と、小さい展示室が1室のみ。まずは展示室を見ます。
出土した物から推測した、当時の食べ物ってところでしょうか。
座った状態のミイラも出てきたっぽいですね。
なんか仏像みたいなポーズしてる。ここには実物はありませんでしたけど。
さてピラミッドへ。キレイに整備されたスロープをのぼります。
頂上はこんな感じ。
周囲の建物が高いので中途半端な眺望ですが、周りとの不釣り合い感が楽しいと言えば楽しいです。
人形がいっぱいいてちょっと怖いです。
どうも、実際にあんな人形(と思われる物)が出土したっぽいです。
ここは儀式を行う神殿として使われていたようなので、人形も儀式の道具ですかね。
こっちには一人でポツンと。
ところどころ屋根が設置されている所を見ると、まだ発掘途中なのかもしれません。
歩ける所も限られているので、これで終了。
もう1つ同じ時期の遺跡ワカ・プクジャーナに向かって歩きます。そろそろ14時なので途中で昼飯を食べたい所なのですが、どうもこの辺は高級住宅地のようで、高級そうなお店しか見つかりません。
昼飯を食べられないまま、ワカ・プクジャーナの敷地の外まで来てしまいました。
えっ、ナニコレでかっ。入口がどこかわからないので、柵に沿って歩きます。
よく見ると柵に顔っぽいものがついていてかわいい。
行けども行けども入口が見つからず、半周してしまいました。
腹減ったし、猛烈にめんどくさくなってきた。
もういいや!すっぱり遺跡を後にしました。遺跡にそこまで熱烈に興味があるわけでもないので、空腹にはかないません。
宿の方角にしばらく歩くと、ようやく予算内の食堂がありました。
食堂のトイレ、便器の中に穴が2つあって二度見しました。
小さいほうの穴から水が出て来て、大きい方の穴から排水だったんですけど、あんな低い場所から水が出て来たら便器内の上部が洗われない事ない?
食事をオーダーするとやっぱりマテ茶が出て来ました。今の所、外食でのマテ茶率100%です。
このマテ茶はレモンっぽい香りがするけど甘さは無くて、食事中にも飲めるマテ茶でした。
今日は昨日食べたセコの牛肉バージョン。サラダとセットで12ソル(≒385円)。
量はちょっと少な目。ご飯の形がピラミッド型なのは、ワカ・プクジャーナかワカ・ウアジャマルカでも意識してるんでしょうか。
牛肉はほとんど骨で食べる所が少なかったです(;^ω^)
豆は二種類。
豆の煮物がうまい。コメとよく合う。この店のはちょっと塩辛いかも。
疲れていたのか何なのか、宿に戻ったら3時間も昼寝(夕寝)してしまいました。夜寝れるかな。
リマにもようやく慣れてきた所ですが、明日はピスコに移動します。では今回はこれにて(=’ω’)ノ
コメント
旅日記、面白いです。元気で旅を続けて下さい。
>>JUNさん
応援ありがとうございまーす٩( ‘ω’ )و