【ハイチ】世界遺産サン・スーシ宮殿とシタデルへGO。世界遺産は良いんだけどさぁ(2019年9月14日)

ぼんじゅーる!

今回はハイチ唯一の世界遺産サン・スーシ宮殿とシタデルに行って来ました!

 

世界遺産サン・スーシ宮殿とシタデルとは

「国立歴史公園-シタデル、サン・スーシ、ラミエ(National History Park – Citadel, Sans Souci, Ramiers)」ハイチ唯一の世界遺産で3つのスポット(シタデル、サン・スーシ宮殿、ラミエ)をまとめて1つの国立公園としています。

いずれも19世紀初頭、ハイチがフランスから独立した頃にハイチの初代国王アンリ・クリストフが建造した建築物です。

今回はラミエ以外の2件にタプタプ&徒歩で行ってみました!

 




 

昨夜は寝ている間に6回も目が覚めました

おそらくこの宿(小学校)、市から供給される電気と同じラインに蓄電池がぶら下がっていて、市からの電気(AC)が供給されている間は蓄電池に充電し、市からの電気が止まると蓄電池からの給電(DC)に自動で切り替わるシステムを持っているようです。

つまりどういうことかと言うと、停電と復旧を繰り返すたびにACとDCが切り替わり、そのたびに扇風機が止まって暑くて目が覚めると言う事です。

昨夜は3回停電し、3回復旧したので、合計6回起きて扇風機のモード(AC/DC)を切り替えたというわけです。なんだこのクソインフラ

そして蓄電池を使い切ると完全停電になり、もちろん扇風機も動かなくなります。5時半に4回目の停電をし、そしてすぐに完全停電に切り替わりました。暑くて寝れねぇ。ベッドで汗びっしょりになって待ちましたが復旧しませんでしたので、6時半にあきらめて起きました。窓が無い部屋なので照明が無いと真っ暗です。

 

7時20分に出発。ネットがほぼ使えないので行き方がほとんど分からないのですが、まずはミロ(Milot)と言う町を目指せば良さそうです。Maps.Meに載っていた「ミロ行きバス乗り場」に向かいます。

時々スマホを取り出してMaps.Meの地図を確認しながら、「よしこの角を曲がって・・・」

角を曲がったら道がゴミ山でふさがっていました

いや・・・何あれ?この道だけ津波でも押し寄せたの???

ボクの滞在している地区~昨日歩いた地区はどうやら比較的高級住宅が集まる地域でまだまともでしたが、カパイシャン中心部はこんな感じで道路の至る所にゴミ山が形成されていました。

それにしても道路の真ん中って意味が分からない。あちこちにゴミ山を形成するインド人だって、自分たちが使う道路が通れなくなるようなゴミ山は作りませんよ。

がんばればゴミ山の端を歩けそうでしたが、歩きたくないので遠回り

 

途中でボウル一つで飯を売っている露天商がいたので、ここで朝飯。右に移ってる人が露天商。

 

豆ごはんにオクラスープをかけた食べ物。100グールド(≒113円)。

オクラがぐだぐだに煮込まれていて、目をつぶって食べたら何か分からないレベルだけど、スープと豆ごはんがおいしい。出来立てなのか意外とアツアツ。

・・・と思っていたら、この人もまた昨日のと同じタイプのクソババァで、近くを通りかかった水売りやジュース売り(顔見知り?)に大声で「このチーノ(中国人)100グールドも払いやがったwww」みたいな事を、こっちを指差して言っています。水売りやジュース売りも立ち止まって、バカにしたようにニヤニヤしながらこっちを見ています

多分本来は50か75グールドかな。そのレベルのぼったくりは置いておくとしても、その歪んだ人間性でよくのうのうと生きていられるね?そんな醜い人間性になってしまったら、ボクだったら恥ずかしすぎて死を選ぶわ

2年半で1度も出会わなかったレベルのクソババァに24時間以内で2回遭遇するって事は、ハイチでは昨日のオバハンがイレギュラーではない可能性が濃厚になって来ました。

 

飯後は水を2.5Lほど買い込んで、ミロ行きバス乗り場へ・・・行ってみたら、どうも違うみたい。更に1kmほど南にあるバスターミナルから出ていると、通りすがりの人に教えてもらいました。

「あの橋を渡って真っすぐ」と教えられたので、橋に向かって歩きます。

 

海が本当に臭くて汚い

ハイチ人にドラえもんの大長編を100万回視聴させたい。雲の王国とか。アニマルプラネットとか。海底奇岩城とか。そんなボクの道徳観の8割くらいはドラえもんで出来ています。

歩いていると町中なのになぜか未舗装路になり、徐々に露天商が増えて来ました。どうやらこの道は露天商が集まって市場のようになっている道のようでした。

・・・が、ここからもう少し行くと道路が完全にぬかるみに埋まって、ほとんど歩けない状態になっていました。

道の両脇に人が辛うじて通れるレベルの道があるのでそこを歩くのですが、それすらも時々無くなって、こうやってタイヤの上を渡りながら進みます

なんやねんこの道。どう見てもけっこう重要な生活の場なんだから、市がちゃんと整備しろや

と歩いていたら、両足を完全に泥沼に突っ込んでしまいました。タイヤの上とか歩いている内は良かったのですが、少し道幅が広くなって油断した所で、普通に歩けそうだと思って足を置いた場所が完全に泥沼だったパターンです。昨日靴洗ったばかりなのに・・・。・゜(ノД`)゜・。

近くで見ていた人にお金払って水を持って来てもらって、その場で洗いました。一応見た目は完全にキレイになったけど、この泥沼、未知の細菌とかウヨウヨいそうな見た目と臭いしてるので、ちょっと不安です。

 

そんな感じで宿から2kmほどの距離に1時間20分もかけて8時40分、バスターミナル(Gare Routiere de Pont-Neuf)に到着。


入ってすぐに居た人に「ミロ?」と聞くと、目の前にあった発車直前のタプタプに押し込まれました。

このタプタプ、屋根が無いぶん押し込まれ方がいつもより酷い。こんななりました。

 

あまりにも人が多過ぎてトラックが見えないので補足すると、この範囲に乗ってるのが乗客です。

荷台に乗り切らずに、運転席の屋根にも3人乗っています。すごい状態。

そして出発し・・・たのですが、バスターミナルの出口が完全に詰まっていて、まるで進まない。身体をひねって出口の方を見るとこんななっていました。

いやもうこれ何が起きてるの。ぎゅうぎゅう詰めでしかも直射日光にさらされながら待ちますが、一向に動く気配がありません。せめて屋根のあるタプタプに乗りたかった・・・

 

ようやく動いたのはなんと9時40分バスターミナルから出るだけで1時間もかかりました。なんなんだろうなこれ、何がどう悪かったら、ここまで意味不明な状態になるんだろう。市の職員やこのバスターミナルの管理団体が全員小学生だったとしても、もう少しまともに運営できそうなものです。

昨夜はまともに寝られず、朝一でクソババァに遭遇し、泥沼に両足突っ込み、直射日光の下で待つ事1時間。すでに心身ともに大ダメージを受けていて、今すぐ引き返して寝たい気分です。まぁ宿に戻ったとしても停電してたら暑くて寝られないんですけど。

 

しかも「ミロ行き」と言って乗せられたタプタプはミロ行きではなく、ミロより2km手前の分岐で降ろされて「バイタクで行け」と言われました。いや、ミロ行きじゃないのに乗せんなや。直通便があるのは知ってるんだよ。いったいどこでどんな教育を受けたらそれが許されると思える人間になるねん。ちなみにここでは100グールド(≒113円)取られましたが、ミロ直通のタプタプなら50グールド(≒57円)でミロまで行けます。

「エサが飛び込んできた!」とばかりにバイタクが2台嬉しそうにこっちに向かって来ましたが、幸いその背後から「ミロ行き直通バス」が走って来ているのが見えたので、バイタクは完全に無視してバスに乗りました。

ようやくミロ到着。

たまたま乗ったバスの乗客はほぼ全員がミロで行われる葬儀の出席者だったみたいで、車内で既にわんわん泣き叫んでる女性がいるなど結構な混乱状態だったため、料金取られなかったし、ボクも圧倒されてすっかり忘れたまま降りてしまいました。まぁ既に倍額取られてたから許して。

 

更にミロの町を1kmほど歩いて、ようやく国立公園の料金所に到着。10時20分。なんでカパイシャンから10kmほど離れた場所に来るだけで3時間もかかるねん。もう帰りたい。あ、すみません料金所はこの丸い建物じゃなくて、画面外右手にある四角い建物です。

料金所のちょっと手前から「ガイド」と称する人がわらわら現れて、いらんと言ってるのに付いて来るもんだから、おっさん6,7人を背後や左右にまとったままチケット窓口へ。

ぼく「チケット。1。」

窓口「40USドル(≒4,325円)

ぼく「んなわけあるか」(バカかと言いたいのを飲み込みつつ)

窓口「チケットにガイドと馬付きで40USドル」

ぼく「チケットだけっつってんだろ」

窓口「ガイドと馬が必要だ!」

ぼく「おまえ耳ついてる???オンリー!チケット!」

窓口「ガイド付きで20USドル

ぼく「チ・ケ・ッ・ト!!!!!

はい、チケット単体で10USドル(≒1,081円)でした。チケットは手首に巻く紙テープみたいな感じでした。

お金を払っている間に視界の端でガイドがそのチケットをすぅっと取って行ったのが見えたので、すかさず奪い返しました。ただの世界遺産のチケット窓口のはずなのに、なぜか西アフリカで最低のロッソ国境を思い出しました。国境みたいな世界遺産ってなんやねん。

料金を払ってもしばらく「ガイドが無いと入れない」「7kmもあるから馬じゃないと行けない」「バイタクだと安いぞ!」などと言いながら6,7人が付いて来ましたが、完全無視で歩き続けて振り切りました

 

はい、たぶん読んでる皆さんも既に疲れて飛ばしたくなってきていると思うし、実際その場にいたボクもめちゃくちゃ長く感じましたが、ようやく世界遺産エリアです。まずサン・スーシ宮殿は入口を入ってすぐの所にあります。

ここは宮殿を建造したハイチ初代国王アンリ・クリストフが居住し、そして自殺した場所です。

そもそも、アンリ・クリストフがこの先の山の上のシタデルを建造した理由が「独立したハイチを取り返そうとフランスが攻めて来ると思ったから」と言う、やや個人の妄想に近い理由だったんですが、そのシタデルと宮殿の建設に多数の国民(20万人とか言われている)を動員して強引に建設したため、建設したら建設したらで今度は「酷使した国民に恨まれてクーデターにより殺される」と言う妄想に取りつかれ、最後は拳銃自殺したそうです。

なお、フランスはハイチを取り返しになど来ませんでした。まぁ独立して間もない国の国王なんてメンタルの負荷がハンパ無さそうなので、自殺するくらいおかしくなっても仕方ないのかもしれません。

 

宮殿は置いておいて、山の上のシタデルを目指します。地図で見ると5,6km。既にめちゃくちゃタイムロスしているし、どんな道か分からなくて所要時間が読めないので、とりあえず進まないと不安です。

しかしそれは杞憂で、道はずっとこんな感じの石の舗装路でした。

しかも、国立公園内なのにふもとから山の上まで、けっこうな数の民家が点在していました。普通に村とか集落とか呼んで良いレベルの人口だと思います。住民らしき人達がバイクで上り下りするのとしょっちゅうすれ違います。

気温は32℃前後くらいでしょうか。環境的にも道の状態的にも、北キプロスの聖ヒラリオン城の時よりはずいぶんマシなはずなんですが、こちらには余計な障害が待っていました。

若者「チンチャンチョンチンチャン!!!

「うるせぇバカ」と言いたいのを飲み込んで、冷静に話しかけます

ぼく「それはすごく悪い意味だよ。ノー・チンチャン。ぼんじゅーる?

若者「ぼんじゅーる!」

ぼく「ノー・チンチャン。絶対言っちゃダメだよ。OK?

若者「OK!!

おぉ、良い子じゃないか・・・。チンチャンチョンはアジア人に対する差別用語として世界中で広く使われていますが、意味を知らないまま愛称かなんかと勘違いしている人もしばしばいるので、言われた時はできるだけこうやって話すようにしています。

しかしやたらと数が多く、ひどいと10メートルおきくらいに言われるので、全然進みません。これは自分で選んで取ってる苦労ではありますけど、余計な苦労と言えば余計な苦労です

 

そして、山の上に行くにつれて状況が変わって来ました。

若者「チンチャンチョンチンチャン!!!

ぼく「それはすごく悪い意味だよ。ノー・チンチャン。ぼんじゅーる?

若者「チンチャンチョンチンチャン!!!」

ぼく「ぼ・ん・じゅ・ー・る?」

若者「プーーーーーークスクスクスクス

標高が上がるにつれて知能が下がって人間性が失われるんですかね。しかも若者だけじゃなくて、子供、大人、年配の人と、もれなく全員レベルが下がって来ます

見ていて気付いたのは、山のふもとの方はしっかりした造りの家、塀のある家が多かったのに対し、山の上に来るほど粗末で傾いた家が多くなってきています。

もしかすると、標高が上がるほど家が貧しいのかもしれません。それで民度も下がって来ると。

 

炎天下の中、体力と精神力をゴリゴリ削られながら坂道を1時間半登ると、ゲートのような所に到着。

ここが駐車場になっていました。車やバイタクでもここまでは来れるみたいでした。

ここからは少し細い道になりますが、それでもちゃんと石の道が続きます。

他の観光客はここまでバイタクで来て、ここから馬で上がるようで、「ホース!ニード・ホース???」と声をかけて来る人が何人かいました。もちろん答えは「ノー」です。でもここの人達はそんなにしつこくなかったです。おそらくふもとより競争率が低く、無理に誘わなくても大半の観光客が馬を利用するから焦りが無いんだと思います。

駐車場から5分ほどでシタデルが見えてきました。

天空の城と言われているだけあって、山のてっぺんに建っています。思ったより遥かに大きかったので、初めて視界に入った時は「おぉ」ってなりました。

後ろを振り返ると完全に山。

直射日光は変わりませんが、標高が上がってきたぶん風が涼しくなって来ました。

けっこうな急坂。ゆっくり進みます。

 

石の道はちゃんとシタデルまで続いているんですが、徒歩なら最後は山道に入ってショートカットも可能です。

ショートカットはだいぶ近くなります。勾配はありますが踏み跡がしっかりしていたので登りやすかったです。

シタデルの城壁前到着~。

近そうに見えたのに、駐車場から30分ほどかかりました。ふもとのチケット売り場からはトータル2時間

標高230メートル⇒910メートルなので、標高差は680メートル距離は5.8kmでした。いつもみたいにGPS時計でログ取ってたんですけど、城内に入ったらGPS誤作動でクッチャクチャになってしまったので、ちょっと掲載できる感じではありませんでした。

 

シタデル散策を始める前に、涼しい所でまずは補給と休憩

カパイシャンで買って来たパンを食べま・・・腹減ってた気がしたのに、全然胃に入りません。暑さで内臓がやられてそう。でもここで食べておかないと下山する力が出ないので、無理やり1つ水で流し込みました。

落ち着いたところでシタデル散策を始めます!

立地がすごいだけあって景色が素晴らしいですね。がんばって登って来た甲斐があるってもんです。でももしフランス軍が攻めて来てこんな山の中まで来た時は、それはもうハイチ全土が制圧されてるんじゃないのかな。もっと水際に丈夫な城造った方が良かったんじゃないかな。

シタデルから更に奥の尾根に見えているのが、おそらくラミエです。

ごちゃごちゃっと建造物が見えますが、よくわからんですね。シタデルから更に2kmくらいでしょうか。時間的にちょっとあそこまでは行けません

シタデル内部は苔やカビで壁の色がすごい事になってるんですが、汚いを通り越してもはや芸術的な域に達しています。

 

壁のこの赤っぽいのなんだろう。他ではあんまり見ない気がするんですけども。

 

観光客が入れる範囲は、けっこうしっかり整備されています。

 

しかし、たまに謎の雑な補修が施されています。何この夏休みの工作みたいな窓枠

 

籠城が前提の城らしく、巨大な貯蔵庫などもあります。

 

この辺は居住区かな。あんまり誰も立ち入ってなさそうに見えますけど。

 

トイレがあったのでついでに入ってみたら、便器から遥か下の森が見えていました

すげぇなこのトイレ。トイレで転落死できる。ていうか世界遺産ってこんなんで良いんだっけ・・・?環境的な観点とかどうなってるんだろう

説明が面倒になって来たので、適当に写真貼っておきます。

城自体はかなり広いですが、見られる所はそこまで多くないです。建物内は照明が無いんで暗いですし、展示や説明もほとんどありません。

 

はい、それでは下山しましょうかね。

また行きと同じ「チンチャンチョンチンチャン」と戦いながら降りましたが、やはり標高が下がるにつれて人の反応がまともになりました。

ふもと直前では、まだ小学校に上がっていないくらいの子供ですら「チンチャンチョンチンチャンはなんだかダメっぽい」と言う事を理解してくれたみたいで、笑顔で手を振って別れました。山の上の方にいたオッサンオバハン若者は全員、この子供ほどの知能も無いんだろうなぁ。

あ、あと行きがけ、登り始め数分で「え!歩いて登るの?がんばって!」って応援してくれたご夫婦に下りでも出会って、「シタデルどうだった?良かった?そう!それは良かったね!」とニコニコと言ってくれたのが本当に今日一番の癒しでした。

 

下山は1時間20分ほど。サン・スーシ宮殿まで降りて来ました。

しかしもう体力も精神力もゼロに近いので、外側をなんとなく見ただけで終了。あぁこの宮殿、自殺したアンリさんの幽霊が出るらしいですよ。

 

帰りは運良く、ほとんど待たずにカパイシャン行きのタプタプ(屋根付き)に乗れました。

この路線は、乗客は拾いながら向かうスタイルのようで、常に乗客が乗り降りするため、ぎゅうぎゅう詰めになる事もありませんでした。しかも料金は50グールド(≒57円)。行きの苦労は何だったんだ。

乗客「クレオール語(ハイチの言葉。フランス語に近い)は話せる?」

ぼく「いや無理」

乗客「スペイン語は?」

ぼく「スペイン語はちょっと話せる」※スペイン語

乗客「お前の国には金がめちゃくちゃいっぱいあるんだろう?」※スペイン語

ぼく「無いよ」※スペイン語

乗客「いいや!お前の国には金がめちゃくちゃいっぱいあるんだ!!」(なぜか不満そう)※スペイン語

そもそもあなたボクの国籍を知らないし、おそらくアジア各国の経済状況すら調べずに言ってるんだろうし、そして国に金があった所でだから何?って言う。

ボクさぁ、こんなクソみたいな会話するためにスペイン語勉強してるんじゃないんだよ。自分が勉強した事に対してこんなに虚しさを感じたの、学生の頃を含めても初めてだよ。

 

16時20分くらいにカパイシャンに帰って来ました。朝通った泥沼の道は二度と通りたくないので、今度は違う道を行きましたが、やっぱり臭くてゴミだらけの海の上を渡る事になりました。

海辺の臭さと汚さは、ガーナのアクラに匹敵するレベルかなぁ。ただあっちは西アフリカ有数の大都市で、カパイシャンは徒歩で端から端まで歩けるくらい小さいので、1人当たりが海に捨てているゴミの量はカパイシャンが圧勝だと思います。

街中に戻って来て一安心。

 

と思ったら、街中は街中で、あちこちでなぜか下水?が溢れていて、ひどい臭いになっています。

これ下水なのかなぁ。下水以上にすごい臭いなので下水かどうかも疑わしい。離れた所で既に吐き気をもよおす臭さだったので、息を止めて足早に通り過ぎました。

 

いろんな疲れで食欲が全然無かったので、ジュースを水だけを大量に買って宿に戻ったら、完全停電していました

照明はボクのヘッドライトです。もうほんとすごいなこの国。国も人もシステムも全部最低かよ

 

今日分かった事は、「ハイチでは”金銭的な貧富”と、”人間性の貧富”がほぼ完璧に比例している事」です。

今までの国(もちろん日本含め)でも、確かに“金銭的な貧富”と”人間性の貧富”に緩やかな相関関係があるのは肌で感じていました。ただ、金銭以上に、国民性や地域性、宗教に対する個人の信仰度など、他の要因による影響の方が大きいとも感じていました。「金は人生にとって大きな存在だけど、人生は金だけではない」。そんな感じ。

それがハイチでは、金銭の貧富がほぼそのまま人間性に直結している気がしてなりませんでした。

ハイチに来て、道を教えてくれた人、タプタプの適正価格を教えてくれた人、ごく普通の世間話を振ってくれた人は全員、身なりのキレイな人か、ビジネスマン風の人でした。一方でクソな人は全員身なりが汚い人や、貧しい地域の人達でした。そのクソっぷりも日記に書いた通り、この2年半と言うかボクの人生31年の中で最低レベルです。

なんかもう腹が立つと言うよりは、金銭の有無だけで人間がここまで歪むのかと、人に対する激しい失望と、汚いモノを見てしまったような嫌悪感を感じる領域でした。ハイチの貧しい人達は、「外国にはいっぱい金がある」と言う妬みと嫉みと、自分たちの出したゴミにまみれながら一生を終えるんだろうなぁと。ただの貧しさを超えた絶望的な貧しさですよこれは。

ボクは今までの国では少々嫌な奴に出会ったところで「巡り合わせが悪かった」で済ませて来ましたし、たった1週間足らずの滞在で分かったような事を言うのにも抵抗がありますけど、ハイチで出会った嫌な奴は「少々」どころの騒ぎじゃないし、1週間足らずでアフリカ1年分くらいのクソな人に遭遇した結果、上のような分析をするに至りました。

ただ裕福な人達は良い人達ばかりなので、もし万が一ハイチに来る場合は金を惜しまず、裕福な地域だけを見て裕福な人たちだけど関わって過ごせば、嫌な思いはしなくて済むと思います。まぁでも基本的にハイチには来ない方が良いと思います。

 

明日は嬉しい嬉しいハイチ脱出。ドミニカ共和国のプエルトプラタに移動します。では今回はこれにて(=’ω’)ノ

コメント

  1. 菫檸檬菓子 より:

    woltさん、お疲れ様です。

    クソ腹たちます。
    冷静に対処して、冷静に分析して、本当にすごい。尊敬します。
    ハイチの生活には教育が欠けているのでしょうね。
    寺子屋状態の小学校はやってる人がいるだけ偉い。知性って重要なことなんだな、と心から思いました。
    無事に脱出して下さい。

    • wolt より:

      >>菫檸檬菓子さん
      共感ありがとうございます(;人;)
      宿の寺子屋に来ている子供は3,4人会いましたけど、みんな元気に挨拶してくれる良い子でした。教育って無くてはならない物なんだなぁと思いました。あのまま良い子で育ってほしいです。