むらほー!
今回はルワンダのムランビ虐殺記念館に行ってきました!
ムランビ虐殺記念館とは
Wikipediaが短い文章でさくっとまとまっているので、引用で済ませます。
この建物は元々ムランビ技術学校(Murambi Technical School )と呼ばれる学校であった。
ルワンダ虐殺が始まった当初、この地域に住むツチは地元の教会に避難しようとした。しかし、“丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる”という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、ツチらは学校へ隠れることになった。1994年4月16日、唐突に水や電気の供給が停止された。この時点でおよそ6万5000人のツチが学内に避難しており、食料も水も不足する中、避難民らは自衛のために投石用の石を数日かけて拾い集めている。しかし4月21日の夜半、フランス軍が唐突に姿を消すとともに、学校はフツ系過激派民兵のインテラハムウェの襲撃を受けた。約4万5000人のツチが校内で殺害され、この日の虐殺を逃れた者の内の大半も、翌日に近くの教会へと逃れようとしたところを殺害された。
現在、ムランビ技術学校の校舎は虐殺記念館として使用され、被害者数千人分の頭蓋骨とミイラ化した遺体が展示されている。なお、ルワンダ虐殺にフランス政府が加担していたとの主張が、2008年にルワンダ政府によりなされている。―引用元:Wikipedia
はい。こんな感じです。ルワンダ各地には、実際の虐殺現場が保存されている記念館がいくつかありますが、ここムランビ虐殺記念館はその中でも虐殺の規模が大きかった事と、市長と教会とフランス軍が虐殺に加担したと言うショッキングさで有名です。
朝9時に、昨日着いたフイエのバスステーションにやって来ました。
ムランビ虐殺記念館の最寄りの町、ニャマガベ(Nyamagabe)行きのバスチケット購入。560ルワンダフラン(≒72円)
ニャマガベ行きはVolcano社とHorizon社の2社が扱っていて、ボクはたまたま行きと帰りで違う会社のに乗りましたが、どっちも似たようなマイクロバスで料金は同じでした。出発時刻をずらしてあるっぽいので、その時々で都合の良い方に乗ればいいと思います。
45分ほどでニャマガベに到着。
昨夜もちゃんと寝たはずなのに、45分爆睡でした。最近乗り物の中で起きてられない(;・ω・)
ニャマガベは、バスステーション周辺はけっこう栄えています。
ここからムランビ虐殺記念館までは4kmほど。バイクタクシーや自転車タクシーがいっぱいいましたが、そう急いでるわけでもないので歩いて行く事に。
ものすごくのどかで良い景色の中をてくてく。
道は途中から未舗装路に。
本当にのどかな景色。気候も良いので歩いて正解です。
人里離れた所にあるのかと思えば、ムランビ虐殺記念館は村の中にある感じでした。門の横まで民家があります。
なだらかな丘の上に本館があります。
本館は多分後から建てられたもので、本館には簡単な説明と展示がありました。
本館の説明は、冒頭で引用したWikiをさらに詳しくした内容。攻撃開始がAM3時で、AM6時に小休止があって・・・みたいな感じ。
また、ここから丘1つ隔てた所にある教会では、1994年の大虐殺以前にも、ツチ族が殺されたりする事件があったようです。もともと(厳密にいうともともとじゃないけど)対立の激しい地域だったのかもしれません。
展示を見終わると、係の人が本館を通り抜けた奥のエリアに案内してくれます。
ここはもともと学校だった校舎で、そのまま残してあるそうです。
敷地内の所々に説明板が建っていました。「フランス軍が旗を立てていた場所」には、この敷地内でフランス軍によるツチ族女性の暴行が目撃されていると言う説明書きがありました。暴行の件はフランスは否定しているそうですけど。
なお、内部は撮影禁止だったので、中の写真はありません。
元・校舎の中に保管されているのは、被害者の衣服、ミイラ化した遺体、遺骨など。
遺体が保管されている部屋に入ると、まず強烈に酸っぱい臭いが鼻につきました。遺体の防腐処理剤とかの臭いなのか、それともそれそのものの臭いなのかはよく分かりません。
そんなに大きくない部屋(10畳くらい?)に台がびっしり並んでいて、その上に隙間なく遺体が置かれています。おそらく防腐処理されていて、どの遺体も表面は真っ白です。
すべてそのまま台の上に置かれているだけなので、触ろうと思えば触れます。絶対触りませんけど。ていうかちょっと近すぎます。
気分的にあまり部屋の奥まで入ることができず、2歩ほど入って部屋を出ると、案内してくれた係の人が「Same」と言いながら次の部屋を開けてくれます。次の部屋も同じようにミイラ化した遺体がびっしり置かれていました。
2部屋目からは、気付くと自然に息を止めていました。酸っぱい臭いが、気分が悪くなるくらい強いのです。
部屋を出ると、また係の人が「Same」と言って隣の部屋を指さしました。中はやっぱり同じでした。その次も「Same」でした。なんだか悪い冗談みたいです。
あまりにも圧倒されてじっくり観察する余裕が無かったのですが、パッと見ただけでも、頭部が激しく損傷した遺体、身を守るように小さく丸まった遺体、片腕が無い子供の遺体、下半身がねじれるように潰れた乳児の遺体などが目に付きました。
骨もげんなりするくらいたくさんありました。
ただ、骨はすべて真新しいガラスケースに入っていました。ガラスケースは、おそらくそれ専用に寸法を合わせて作ってあって、頭蓋骨が3列×9列できっちり収まっていました。そのガラスケースが部屋の中にいくつもあります。塗装されたばかりの、青がまぶしい鉄フレームの中に、茶色く汚れた頭蓋骨がきっちり並んでいるのは、なんだか現実味の無い光景でした。
ボクが1部屋1部屋入ったのは1棟だけでしたが、係の人が「Same,Same」と指さした先の別の棟にも、白いものがみっちり並んでいる様子が、窓から見えました。
なお、上述のミイラや頭蓋骨は、冒頭で引用したWikipediaのページに写真が数枚載っていますので、見たい方はそちらをどうぞ。
ムランビ虐殺記念館は、気分が暗くなると言うよりは思いっきり殴られるくらいの衝撃を受けてぼんやりしてしまう感じですね。
ぼんやりとまたのどかな景色の中を歩いて帰りました。
当時だってこの景色は変わらんかったろうになぁ・・・。
1時間弱かけてまたニャマガベバスステーションの近くまで戻って来て、13時半だったのでここでお昼。
ルワンダ式ブッフェ。1,500ルワンダフラン(≒192円)
生野菜、米、パスタ、フライドポテト、インゲンの煮物、キャッサバの煮物、牛肉煮込み。
可もなく不可もなく。牛肉が大きめなのが良かったかなー。
また行きと同じようにバスでフイエに戻りました。帰りも半分くらい寝ていました。
さて、明日はルワンダを一気に北上してウガンダに入る予定です。では今回はこれにて(=’ω’)ノ
コメント
虐殺記念館、原爆ドーム、アウシュビッツ他、勝者(生)と敗者(死)の記念碑とみるのか?敗者は惨めで残酷な見せしめなのか?何を伝えたいのか胸が痛む。合掌
>>y.kujimeさん
“負の遺産”と呼ばれるスポットはおっしゃる通り世界各地にありますが、それぞれ意味や立ち位置は微妙に違うと思っています。
ルワンダ大虐殺に関して言うのであれば、「起こった出来事の周知」と「フランス&ベルギーの所業を世間に認知させる」の2点ではないでしょうか。
ルワンダ大虐殺は、リアルタイムで国連や世界に無視され続けたせいで被害が広がったと言う一面があり、ルワンダ国民は「世界に広く知らせる事」の大事さを痛感していると思います。
また、大虐殺の準備段階から実行に至るまで、フランスやベルギーが裏で動いているのが明白なのに、両国はいまだに一部しか関与を認めていません。
展示や説明から、”世界に知ってほしい”と言う思いがひしひしと伝わって来ました。ルワンダの虐殺記念館はそう言う立ち位置だと思います。
woltさま、地球のどこにいても、誰とでも通信できることは素晴らしいことです。世界では様々なことが起きていますが、茶の間のテレビでニュースでは事象があったことは分かるが、プロパガンダではないと判断できますか、苦労して世界を旅する人にしか得られない情報が貴重だとおもいました。これからもチョイ頑張ってくださいませ。
プロバガンダとまで言えるかは微妙なところですが、日本のテレビや新聞の偏向報道は世界の中でも酷い方だと思います。
かと言ってネットも極論ばかりが飛び交う世界なので、もう「これを見とけば(読んでおけば)大丈夫」みたいなメディアは日本に存在しません。
できるだけいろんな媒体から情報収集して、自分で考えて取捨選択しないといけない、ある意味面倒な時代だと思います(^^;
今の日本は、謝罪、謝罪、謝罪!報道ばっかり(>_<)
とにかく謝罪するまで周りも追い込む。
自然災害までも誰かが謝罪!なんかおかしくね⁈
コレも'土下座'文化の影響でしょうかね?
自分の目で見て、肌で感じて、自分の判断基準を持つ❗️
大切な事だよなo(^_^)o
>>baumさん
本来”謝罪文化”は、「(建前か本心かはともかく)謝りさえすれば許される」と言う暗黙の了解が双方にある事で、互いのメンツを守りつつも円滑に事態を納める事ができると言う、非常に便利で合理的な文化だと思うのですが、最近の日本はそれを理解していない人が騒ぎすぎなんですよね><
自然災害でも謝罪はちょっと笑えるレベルですねw
「”頭が悪くても声が大きくて周りを巻き込む人”の意見が通る」ようになってしまったのは、ネット文化の弊害だなぁと思います。
妙な情報や人に流される事無く、自分の頭で考える事を忘れないでいたいものです。