むらほー!
今回はルワンダのキガリで市場に行ったりジェノサイド・メモリアルに行ったりしました!
それぞれ別に日に行ったんですけどね。写真のボリューム的にあんまり無いのでまとめてしまいます。
11月8日はキミロンコ市場(Kimironko Market)へ。
ニャブゴゴバスターミナルから305番のバスで終点まで乗ればキミロンコ市場です。
バス乗り場裏の赤い塀の中が市場になっています。
雨がパラついているので、市場に屋根があって助かります。
市場は思ったより狭い。面積が小さい分、道具なんかが高く積みあがっていてなかなか面白い光景だったんですが、撮影許可を求めても全滅・・・(;^ω^)
ぶっきらぼうな感じでは無いのですが、なんかみんなやんわりと断るのです。
結局、巨大な食用バナナ(たぶんマトケ)の房しか撮れませんでした。
バナナ、こんなに巨大なのに通路に無造作に置かれているのでめっちゃジャマです。
お昼は市場の近く、地味な食堂で。
フライドポテト、野菜&豆の煮込み、米、ビーフスープ。全部で1,000ルワンダフラン(≒129円)
煮豆に、小茄子やニンジンが入っているのがありがたいです。ルワンダの食事は食物繊維は取れるけど野菜が不足しがち。
しかし米は・・・アフリカによくある、水分が多くて弾力の無い、味気ない米になってしまいました。タンザニアとの落差が・・・
さて、今日もリッチにおカフェでおデザートを食べるざます。アイスコーヒー2,200ルワンダフラン(≒283円)
薄い・・・。量だけは多いけど。
と、バニラクリームケーキ1,500ルワンダフラン(≒193円)
これは・・・見た目だけは良いけど、食べてみるとめっちゃ乾燥していて固くなってる。なにこれ72時間くらい冷蔵庫に放置してたの?
バニラと名を冠しているくせに、バニラどころかバニラエッセンスすら使ってないし、なんならマーガリンの味がするw
これなら、南アフリカでは同じ値段でそこそこおいしいミルクタルトがホールで買えたのになぁ・・・。
道端で写真撮ってたら警察関係車両がモロに写り込んでしまったの図。
めっちゃガン見されてますが、特に何も咎められなかったので、ルワンダの警察は寛容なんだなと思いました。
翌日、11月9日。今日はジェノサイド記念館に行く予定なので、朝からルワンダ大虐殺について予習。
ルワンダ大虐殺とは
1994年の4月から約100日間かけて行われた、ルワンダ国民の大多数を占めるフツ族が、少数派のツチ族を大虐殺したジェノサイドの事。
当時ルワンダ国民は800万人弱でしたが、そのうち70万~110万人が殺害されたと言われています。(正確な被害者数は今もわかっていない)
と言う、上記程度の事は知ってたんですけど、あらためてWikipedia他、関連資料をまじめに読んでいくと、どんどん気分が暗くなっていきました。
100日で100万人と言うペースもたいがい異常なんですが、それ以外の点でもルワンダのジェノサイドはいろいろと異常な気がするのです。
読めば読むほど腰が重くなっていくので、とりあえず出かけましょう。市バスでジェノサイド記念館の近くまでやって来ました。
ジェノサイド記念館は、キガリの中心部を臨むように建っていました。
入場料は無料(寄付箱あり)で、音声ガイドは有料です。
内部の写真は無いんですが、ビデオや説明が多かったです。
以下はできるだけ簡単にまとめた、虐殺までの経緯とボクの感想なので、興味無い方はすっ飛ばしてください。長いです。
もともと対立どころか区別もされていなかった民族
虐殺した側がフツ族、された側がツチ族と言う構図なのですが、このフツ族とツチ族は、20世紀初め頃までは対立どころか明確な区別すら無かったと言われています。
これが、ベルギーがこの地域を支配した時、やや肌の色が浅くて長身な傾向のあるツチ族が白人に近くて優等な民族とし、ツチ族を各地域の首長に取り立てたり、教育格差を作るなどあらゆる面で優遇して、少数のツチ族が多数のフツ族を管理する構造を作りました。
こうやって、ローカルの人の中に階級を作って支配させるのは、当時の植民地宗主国(欧州各国)のセオリーだったようです。白人が直接支配しなくて済むし、また直接関わらない事で反感を買わずに済むからです。
1930年代にベルギーによって発行された、ツチ族とフツ族を区別する身分証は、ジェノサイドの際も利用されたと言われています。
独立によって対立を深める民族
ルワンダを含め、周辺のウガンダ、ブルンジなど、ツチ族&フツ族の暮らす国々は1960年代に次々と独立を果たしますが、独立に際してベルギーは、手のひらを返すようにこれまで冷遇して来たフツ族を支援するようになります。
これにはいろんな政治的な背景があるとされていますが、今まで教育水準が低かったフツ族を政治の中枢に置く事で、独立後も意のままに操りやすくする為だったと言う見方が強いです。
とにかく、1960年代から1990年までにかけて、ウガンダ・ルワンダ・ブルンジでは、フツ族vsツチ族の構図が出来上がり、各地で互いに弾圧や虐殺が起き、難民(ツチ族・フツ族共)や反政府勢力が設立されて行くと言う、かなり混乱した状況になりました。
そんな中、ルワンダでは多数派のフツ族が政権を握ることになりました。
「ルワンダのジェノサイドを理解している者は一人もいない」
「ルワンダのジェノサイドを理解している者は一人もいない」と言うのは、ジェノサイド記念館に入って最初に見るビデオに出て来る、ジェノサイド被害者の言葉です。
ボクが最も異質と感じたのもこの点なんですが、あちこちの資料を読んでも、ジェノサイド記念館の説明を読んでも、なぜここまで大規模なジェノサイドが起きたかがいまいち分からないのです。
例えば、ナチスのユダヤ人虐殺や、カンボジアのポルポト政権による虐殺は、「ヒトラー」や「ポルポト」と言う指導者が掲げた理念や理想の元、その下の組織が実行すると言う構図でした。その理念や理想が、いかに差別的で偏見に満ちていて独善的でも、それに基づいて組織が動くと言うのは、理屈としては理解できます。
ルワンダのジェノサイドにはそれが無いのです。誰か一人が旗を振ったわけでも無く、ツチ族を皆殺しにした後の理念がアツく語られたわけでも無かった。
ジェノサイドは「組織的」で「計画的」
にも関わらず、ルワンダのジェノサイドは「組織的」で「計画的」だった、と分析されています。
事前にツチ族の市民リストを作り上げ、フツ族の政府高官や軍部が主導し、約3万人の民兵からなる部隊を組織して手榴弾やアサルトライフルを配備する等、気持ち悪いくらい着々と準備が進められました。
当時のルワンダは食料にも困るほど貧しく、民兵にポンポン武器を与える財力は無かったはずなので、これらの武器は欧州諸国(ベルギーやフランス)が支援したとも言われています。
メディアのフル活用
1990年以降、フツ族は新聞やラジオなどのあらゆるメディアを利用して、反ツチ族感情を煽るヘイトスピーチや評論を国内に発信し続けました。
フツ族政権はメディアの活用にかなり力を入れていたようで、メディアによるプロパガンダは虐殺が始まるまで(と言うか始まってからも)徹底的に続きました。
虐殺の引き金は大統領暗殺
1994年4月6日、当時のルワンダ大統領ハビャリマナ(フツ族出身)が乗った飛行機がミサイルで撃墜され、暗殺される事件が発生。この犯人はいまだに分かっておらず、ルワンダ愛国戦線(ツチ族の反政府勢力)とも、過激派フツ族とも言われています。
しかし、完全に「ツチ族憎し」の感情が植え付けられているフツ族国民はそうは見ません。
まず動いたのが大統領警備隊。大統領警備隊はフツ族穏健派であったウィリンジイマナ首相を殺害。さらに首相の警護に当たっていたベルギー人護衛10名も殺害し、止める者が誰もいなくなった状態で大虐殺が始まりました。
いろいろと異常なジェノサイド
なんかもうあんまり書きたくないんですが、ボクが特に異常と感じた点を挙げます。
- 近所の人に殺される
- ツチ族を殺さないフツ族も、フツ族に殺される
- 市長が学校にツチ族を集め(避難させ)、その上でフツ族の民兵を呼んで皆殺し
- 助けを求めて教会に集まったツチ族を、教会の司教がフツ族に売る
- 殺す側も一般人のはずなのに残虐性が高く、なぶり殺しが常態化
- 国連は虐殺を完全に無視。逆に虐殺が始まってから軍を撤退させた
「撤退されるルワンダ国連平和維持軍へ。駐屯地に逃げこんだ避難民全員の願いです。私達は家族です。だから共に死にたいのです。私達を見捨てて撤退されるのでしたら、その銃で私達全員を殺して下さい。ナタで殺されるより、ましです。銃なら一瞬だし痛みも少ない。せめて子供達だけでもお願いします」―引用:山本敏晴のブログより
このセリフで、どれだけ残虐性が高い虐殺が行われていたかが想像つくと思います。
内容に興味がある方は、Wikipediaもどうぞ。Wiki情報だけでも十分テンション下がりますのでご注意下さい。⇒ルワンダ虐殺:ジェノサイド(Wikipedia)
ジェノサイド記念館でインパクトが強かった「チルドレン・ルーム」
読んでて鬱になる展示ばかりでしたが、一番強烈だったのが「チルドレン・ルーム」。
大きいパネルに子供(1歳~7歳くらいまで)の写真が1人ずつ展示されていて、説明書きにはその子供の名前、好きな食べ物、性格、好きな事などが書かれています。「ミルクが好き」「マンゴーが好き」「よくしゃべる子」「元気な明るい子」「音楽を聴くのが好き」
そして一番最後に、「かべに なんかいも たたきつけられて しにました」「あたまを うちぬかれました」「ははおやに くわで なぐりころされました※」と書かれているのです。この部屋がなんかもう一番無理でした。
※子供を1人殺したら家族を助けてやると言って親に子供を殺させる(またはその逆)のがよくあったようです。
異常に多いジェノシデール
ジェノサイドをした(=殺した)側をジェノシデールと呼ぶらしいのですが、ルワンダ大虐殺では直接手を下したジェノシデールは約20万人、間接的に虐殺に関わったジェノシデールは200万人を超えると言われています。
このジェノシデールの多さも、ルワンダ虐殺の異常な点です。国民の3,4人に1人が虐殺に加担してるわけですからね。しかも直接手を下したジェノシデールの多くは十代から二十代の若者だったと言われています。
話としてものすごく後味が悪い
ナチスのユダヤ人虐殺も、ポルポト政権による虐殺も、いずれも悲惨な出来事なのは間違い無いんですけど、それらは結局”ヒトラー”や”ポルポト”と言う“分かりやすい悪”がいて、なおかつ彼らはいずれも惨めな最期を遂げています。
「悪い奴が悲劇を起こしたけど、最後に悪は滅びた」ってのは、当事者じゃない人間からするとやっぱりスッキリするんですよ。当事者には申し訳ないですけど・・・。
それが、ルワンダにはハッキリとした悪者がいない。
まぁ、虐殺後に12万5千人が刑務所に収容されているので、その12万5千人が悪と言ってしまえば悪なのかもしれませんけど。
また、虐殺に加担した人を含むフツ族は、虐殺終結後に報復を恐れて近隣諸国に逃亡。国境付近で難民になりました。
難民キャンプの環境が劣悪だったため、感染症で数千人ものフツ族が死亡し、1996年に隣国コンゴで第一次コンゴ戦争が勃発すると、難民キャンプは攻撃の対象にもなりました。
一方で、虐殺のトップとも言える政府高官や軍人は、虐殺終結後に欧州などに亡命しています。
虐殺のトップは逃げ、虐殺に加担したとは言え煽動された一般人は投獄されたり難民になって悲惨な末路を辿ってるのです。めちゃくちゃ後味が悪いです。
はい、長い話ここまで。
長かったですけど、あくまでも概要です。本当はもっと長いです。
なんですかね、だいぶ気持ちが疲弊しました。ルワンダのジェノサイドは想像以上に重かったです。
せっかくなので、キガリの中心部まで歩いてみます。
くわを持った人たち。
ジェノサイドの被害者の半分が、くわや棍棒などの身近な道具で殺されていて、そのせいで生存者がジェノサイドを頻繁に思い出すなどの問題があったようです。
今日は何を見てもあかんわ・・・。
中心部はさすがに、緑よりも人や建物が多いですね。
時刻は14時半をまわっているので、ややランチ難民です。適当な食堂に入りました。
ビーフ・カトゴ2,000ルワンダフラン(≒258円)
どんなのかまったく知らずに頼みました。いただきまーす。
えーとね、マトケ(料理用バナナ)のトマトスープ煮込みです。めっちゃバナナだらけ。時々ニンジンや小茄子などの野菜と、ビーフが入っています。
バナナは、味と食感は柔らかめのジャガイモって感じなんですが、見た目に関して言えばフィリピン産の甘いバナナと同じなので、脳が完全にエラーをはじき出しています。まずくは無いけど、視覚情報と味覚情報が一致しなくて違和感でいっぱい。
意図がまったく分からないゴリラのオブジェ。
ゴリラさんは無駄にグーグルマップに載っています
大きい商業ビル。
これは市民ホールらしい。
今日もカフェでエレガントにお茶するざます。
チョコレートケーキ1,800ルワンダフラン(≒232円)、カフェラテ1,800ルワンダフラン(≒232円)
カフェラテは大きいグラスで来て満足。チョコレートケーキは・・・これケーキ型のヌガー?wと言いたくなるような、ネチーっとしたケーキでした。
帰る前にあと一ヶ所。Hotel Mille Collines。
ルワンダのジェノサイドを描いたドキュメンタリー映画「ホテル・ルワンダ」の実際の舞台となったホテルです。
ジェノサイドが巻き起こるキガリ市内で、ホテルの副支配人が約1,200人のツチ族をホテルに匿って隠し通したと言う映画らしい。(見てない)
今でも現役のホテルみたいですが、思ったよりローカル感のある建物でした。「ホテル・ルワンダ」は機会があればぜひ見たいと思います。
また歩き&市バスで帰りました。
さて、キガリの次はフイエと言う特にひどい大虐殺が起こった現場のある町に行こうかと思っていたんですが、今日のダメージが大きくて行くかどうしようかちょっと考え中です。
とりあえず明日はのんびりカフェ巡りしたいです。移動は日曜かな。では今回はこれにて(=’ω’)ノ
コメント
私は、ルワンダへ行く前の晩に、「ホテル・ルワンダ」を鑑賞しました。
難しいでしょうが、ご滞在中に「ホテル・ルワンダ」を鑑賞できたら良いと思います。
はじめまして。
いつも楽しく読ませてもらってます。
日本出発前の予防接種の記事のトコから毎日ちょっとずつ読み進めて早2ヶ月、、やっと追い付きました泣
これからもちょくちょく覗きに来ます!
>>たそさん
ホテル・ルワンダ、探せばネットに(違法アップロードの類のが)落ちてそうな気もしますけど、ちょっと時間をおきたいですね・・・(^^;
>>ケーさん
はじめまして!
二カ月もかけて追いかけて来て下さるなんて嬉しいです(人´∀`)
もうそんなにたくさん書いてるんだなぁと思うと感慨深いです。これからも時々気にかけてやってくださいm(_ _)m
ルワンダ大虐殺。ほとんど知りませんでした。重いと書いてある感想を読んだだけで、重くなってしまいました。
日本人による、南京虐殺事件は、日本兵による仕業でした。戦争という極限状態で、一般人だがゲリラ兵なのかわからない所で起きた、ギリギリの戦いだったのでしょうが、ルワンダの事件は、一般の人が一般の人、ましてや家族を殺害するなんて、常識を逸していますね。
「ルワンダ・ホテル」見てみたいです。
>>サムライ・ブルーさん
ルワンダ大虐殺は、世界で知ってる人が少ないと言う点でも問題視されています。映画で少し認知度が上がったようですけど。
他にも「ルワンダの涙」もルワンダ大虐殺を扱った映画ですので、こちらももし見る機会があれば!
南京虐殺の方も記念館を見に行きましたが、おっしゃる通り「戦争中だから」「軍がやった」とか言うのは、(それが理由で許されるわけでは無いにしても)やっぱり話を聞く側としては「楽」なんですよね。
重いですが、ルワンダ大虐殺の話はもう少し続きます・・・。