世界遺産エチミアジンと教会群にリベンジ!!(2017年11月16日)

ばりおーる!

今回は世界遺産”エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡”にリベンジしました!

何も調べずに行ってさっぱりだった日の日記はこちら。
[日記]世界遺産エチミアジン大聖堂に”一応”行った

今回はしっかり調べて臨みました。果たしてリベンジなるか!?

 

朝はのんびりめに宿をチェックアウト。食材を使い切ってしまったので、今日は自炊じゃなくて外で食べる事に。

なんと、シャワルマクラブを見つけました!

シャワルマクラブは、グルジアでおいしいと評判の、シャワルマ専門のチェーン店です。アルメニアにも進出していたのか!それとも別物なのかw

チキン・シャワルマ850ドラム(≒196円)

チキン・シャワルマ

具が豪華ーーーー( *´艸`)

たっぷりのチキンケバブに、タマネギやトマト、葉っぱ系野菜の他にフライドポテトまで入っています。すごい贅沢なシャワルマ( *´艸`)

近くの売店で甘い物も購入。なぜか巨大な箱に入れられました。

しっとりしたケーキと

ナッツ類をカリカリに固めた物。どっちも(・∀・)イイ!!

 

さて、エチミアジンの前に1つ行きたい所が。それがこちら、アルメニア虐殺記念館(Armenian Genocide Memorial Museum)

アルメニア虐殺記念館

19世紀末~第一次世界大戦の頃にあった、トルコ人によるアルメニア人大虐殺の記念館です。

周囲はメモリアルパークになっています。

中は撮影禁止だったので写真はありません。

古い写真と説明パネルが主な展示内容でした。

当時のオスマン帝国内で起こったアルメニア人大虐殺の被害者は100万人から150万人と言われています。難民の多くは現在のエチミアジンやシリアへ逃れたようです。エチミアジンにいる難民を写した写真が多くありました。今から行く場所なのでなんかご縁を感じました。

 

では今日の本命、“エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡”へ!

エチミアジン、説明すると結構な分量になったので、旅行者向けにレポートとして別でまとめました。
[レポート]エチミアジンは大聖堂だけじゃない!エレバンから気軽に行ける世界遺産エチミアジン徹底解説

レポートとちょいちょい内容が被るので、旅行者でない人は今ご覧になっているこの日記だけで良いと思います。5つの世界遺産を見てきました。

①ズヴァルトノツの考古遺跡(Ruins of Zvartnots)

ズヴァルトノツ古代遺跡とは

ズヴァルトノツ古代遺跡は、7世紀に建造された高さ45メートルもあった大聖堂の跡です。ちなみに、同時期の日本の建築物である法隆寺の五重塔は高さ31.5メートル法隆寺全然負けてます

ズヴァルトノツに建てられていた大聖堂は、当時の建築物としてはめちゃ大きかったものと思われます。7世紀に15階建てのビル並みですからね。すごいです。ボクはこの地域の5つの建築物の中で一番好きでした。

しかしズヴァルトノツの大聖堂は10世紀の地震で倒壊し、今では土台と柱しか残っていません。この点に関しては法隆寺の圧勝ですね。残ったものこそ強い。※奈良県民なのでちょいちょい張り合いますが特に意味はありません。

 

遺跡の面積としてはそう広くありませんが、大聖堂の土台と柱が素晴らしいです。

柱上部の装飾が一風変わってます。

大聖堂に併設されていた建物の跡も残っています。

偉い人の住宅だったのかな。説明書きには「プライベートルーム」「浴室」なんて表示がありました。

ワイン庫もありました。

大聖堂の次に広いやんかΣ(‘ω’ノ)ノ

イスラム教やヒンドゥー教は徹底的にアルコールダメだったので、こう宗教施設の横に堂々とワイン庫があると、こっちまでちょっと照れちゃいますね。

イエスさんが「これは私の血」とか言ってたからOKなんでしょうねきっと。

 

小さいですが博物館が併設されていました。

中には遺跡から発掘された物の展示や、アルメニア各地の教会の造りの説明がありました。

アルメニア各地の教会は、エチミアジン周辺の教会の流れを汲んでいる、独特の造りになっているそうです。他国ではあまり見られないんだとか。

アルメニアの教会建築めぐりもアツそうだなぁ・・・と思いました。

一番良かったのはズヴァルトノツ遺跡の復元模型。

大聖堂と言うか、ほぼ塔やな・・・。大きい。

基礎部分の平面図らしい。

発掘された品とかあまりピンと来ないんで、こう言う展示が好きです。

 

次の目的地を目指して国道をてくてく。国道沿いに観覧車の骨が建っていました。

廃墟みたいになった観覧車は時々見かけるけど、カゴも無くてここまでボロボロのは初めて見たなぁ。

 

②聖フリプシメ教会(St.Hripsime Church)

聖フリプシメとは

聖フリプシメは3世紀末頃のローマの女性で、当時のローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスからの求婚を逃れる為に38人の修道女とともにアルメニアにやって来たらしいです。

が、当時まだキリスト教を国教にしていなかったアルメニアではフリプシメ及び共に来た修道女たちは異教徒として扱われ、捕まって殺されてしまいました

その後4世紀にはいったんフリプシメのお墓が建てられましたが、7世紀にこの聖フリプシメ教会が建てられ、フリプシメの遺骨は聖フリプシメ教会の地下に移されました。聖フリプシメ教会が建てられたのは、フリプシメが死んだ場所と言われています。

 

と言う事で、こちらが聖フリプシメ教会です。

中は広め。と言うか、なんか日常的に周辺住民が使っているような感じの教会です。

まさか地下に降りれるとは思いませんでしたが、普通に降りれました。

聖フリプシメの棺らしいです。

見れるとは思ってなかったのでびっくりです。

 

そしてまた次の目的地に向かっててくてく。紅葉も半分くらい散っています。

 

③ショガカト教会(Shoghakat Church)

ショガカト教会とは

前述の、フリプシメと共に逃げて来た38人の修道女のうち、フリプシメとガヤネ(後述)を除く他の修道女たちが殺されたとされる場所に建てられたのが、このショガカト教会です。

現在の建物は、ほとんど崩れ去っていた元の建物の上に、17世紀頃に建て直されたものらしいです。

 

壁画や内装が綺麗と聞いていたのですが、結婚式をやっていて入れませんでした

ちょっと場違い感がすごかったので、さっさと離れました。無念w

 

④エチミアジン大聖堂(Mother See of Holy Etchmiadzin)

おすすめしたいまわり方は、エチミアジン大聖堂を最後にするルートなのですが、ボクの場合は夕方でエチミアジン大聖堂の宝物室が閉まるんじゃないかと言う懸念があったので、先にこっちに来ました。

エチミアジン大聖堂とは

アルメニアにある大聖堂としては、最も古いものだと言われています。最初の建築は4世紀初め頃。アルメニアがキリスト教への転換する事を示す為に、元の宗教施設があった場所にこのエチミアジン大聖堂を建てたと言われています。

 

気になる宝物室

内装とかは、前回のショボい記事で一応触れたので省きます。今回はちゃんと宝物室に入りました。

この宝物室、訪れる旅行者が非常に多い。なんでかと言うと、ノアの箱舟の一部(と伝えられている物)と、ロンギヌスの槍の一部(と伝えられている物)が展示されているから。とてもブログ映えしそうですねw

まずこれがノアの箱舟の一部。

ノアの箱舟

どっかの誰かが、アララト山(ノアの箱舟が流れ着いたと言われる山)から持ち帰った物だそうです。

こ、コメントしづらい・・・!次!

こちらがロンギヌスの槍の一部。

ロンギヌスの槍

ロンギヌスの槍と言うとあれですね、使徒と戦ったりレイがぶん投げたり・・・するやつではなく、はりつけにされたキリストが本当に死んだか、わき腹を刺して確認した時に使った槍の事ですね。

・・・

何それ怖い。あんまりホンモノであってほしくないんですけど(´・ω・`)

展示物はこの2つ以外にもたくさんありました。絵に描いたような王冠とか

これは多分偉い僧侶が着ていた服と杖

これどう見てもゲームでヒーリング系の技を使うプレイヤーが付けている装備

どれもレベルが上がらないと装備できなそうな感じですね!あるいは課金アイテム

 

無事に宝物室も見れたので、最後の目的地に向かっててくてく。墓地のような所の脇を通りました。

 

⑤聖ガヤネ教会(St.Gayane Church)

聖ガヤネ教会とは

前述の、フリプシメと共に逃げて来たガヤネが祀られている教会です。ガヤネが殺されたとされる場所に7世紀に聖ガヤネ教会が建てられました。

 

今日見た教会では一番大きい気がします。

中も広々していて立派。

敷地内は公園みたいになっていて、丸々したニワトリが走り回っていました

 

エチミアジンの教会群まとめ

さて、ちゃんと教会の説明を読んだ人は修道女たちが殺された話がやたら出て来た事に気付いたと思います。

実はこの事件がアルメニアがキリスト教を国教にするきっかけになった出来事だったんです。

フリプシメをはじめとする修道女たちがローマからアルメニアに逃げて来たものの、異教徒だと言う事で(他にも理由はいろいろあったんですけど)アルメニア国王の命により捕らえられて殺されると言う事件が発生。

この後、アルメニア国王は原因不明の体調不良に苦しみます。

それを見た国王の妹(既にキリスト教に改宗していた)が「あかんでそれ呪いや!国を挙げてキリスト教に改宗して祀らな!!」とまで言ったかどうかは知りませんが、とにかく妹の勧めによってアルメニア国王はキリスト教に改宗し、アルメニアの国教をキリスト教に定める事になったわけです。

殺した修道女たちを祀るために次々とこのエチミアジンの地に教会を建て、またエチミアジン大聖堂や、ズヴァルトノツに大聖堂を周辺に建てたのも、この土地がアルメニアのキリスト教にとって意味の深い土地だったからなのかなと言う気がします。

 

と言う事で、エチミアジンリベンジはこれにて完了(๑•̀ㅂ•́)و✧うしゃ

この後続けてグルジアへの夜行列車に乗るのですが、長くなったので今回はここまでで(=’ω’)ノ

コメント

  1. y.kujime より:

    なるほど、フン!フン!説得力あるね。法隆寺は木造で最高、古代人は石造り技術スゴイ、どうやって持ち上げたのか等々、地下鉄の電車どこから入れた?より難しいわ。展示物の大きさが判りづらい、結婚式花嫁の姿どんなんか観たかった。

  2. Tom より:

    リベンジおめでとうございます! 調べましたねー アルメニアは歴史的にはまるっきりきヨーロッパですね。石造りの建物は長持ちですが、日本の木造の構造物の長持ち具合はもっとすごいと改めて思いましたよ。

  3. wolt より:

    >>y.kujimeさん
    展示物の大きさは・・・ボクが横に立ってピースしたら良いですか!?Σ( ̄ω ̄;)
    花嫁さんはこの日は出て来なかったので、11月18日の日記でお許しください!w

    >>Tomさん
    ありがとうございます(๑•̀ㅂ•́)و✧
    ヨーロッパの歴史に近いんですね~。ボクは世界史の知識ほぼゼロなのでさっぱりです^^;
    やっぱり法隆寺は免震構造が決め手ですね!